12月17日 人権週間トークセッション 講演録③
第二部はいよいよトークセッションです。
会場からの質問もあり、和やかに進行しました。
木山と申します。今日は進行を勤めさせていただきます。
打ち合わせの時に「やっぱり猫が好き(1988年から放送されていたコメディドラマ)」みたいにいきましょうと山下さんがおっしゃって松岡さんがぽかんとしていたんです。このように年齢差のある三人でお届けします。
くにたち男女平等参画ステーション愛称パラソルは国立駅の高架下にございまして、女性と男性及び多様な性の平等を推進する条例の拠点施設として2018年にスタートしました。相談業務を中心に啓発活動をやっています。
まずは、お二人の国立の条例についての印象をお聞かせください。
松岡さん
最初に条例についての報道を見た時は、一橋大学の件が僕の中にとくに印象に強く残っていて、私が活動をしているから事件について裁判について印象が強かったというのもありますが、同時に年齢が近かったということと当事者だということで、明日は我が身というか、もはや自分というか本当に感覚をもった共感性みたいなものが強くありました。それに対して国立市の条例が、とくにアウティングについて明記していたことを見た時に少なくとも国レベルではなかったとしても一つの行政がしっかりと指針を示してくれたことがすごく心強かったと実感しました。それを当時自分も記事にしたんですが、それをそのまま気持ちを書いちゃってただのブログになっちゃうのを押さえながら、この意義がどれくらいあるのかということを伝えたくて書きました。その後例えば東京都の豊島区とかさまざまな自治体に広がっていく様をみて本当に必要なものなんだなと一本目が生み出されたんだなと強く印象に残っています。
山下さん
私もアウティングを条例で定めたことは本当に驚いたし、嬉しかったですね。先ほど申し上げたようにLGBT支援法律家ネットワークを立ち上げたころ、当事者間ですけど、アウティングというものがあって、あの頃、当事者たちがアウティングの問題は弁護士に頼めば解決できるんだ。法律のトラブルなんだということを知らなかったし、他方弁護士たちもそもそもLGBTを知らないし、アウティングって何?ってところだったんですよ。たった10年位前までは。それが国立エリアで痛ましい事件が起き、そこからさらにすぐに条例という形でバーンとだして国立だけでなく日本中に広まりました。これ本当にすごいことだと思ったんですね。しかも法学学ぶ弁護士やっているとどうしても国レベルの法律の話ばかりしていて、地方自治体の条例にはあまり向いてなかったんですね。今、こうやってとくにセクシュアルマイノリティのことやっていると地方自治体の方がむしろ国よりも先駆けてすぐにルールができて社会を変えていけるんだということと、もう一つ言うならば、条例って議会でつくるものですよね。多数決で。セクシュアルマイノリティってマイノリティ少数者ですよね。だから数からいえばどう考えたって前には進んでいかない性質のもの。多数派の人が理解してくれなければ進まないものなのに、それを国立の市議会は、市議会を支えるメンバーの市議の人たちは、こんなにすぐにマイノリティの事も含めて動けるんだということが、二重三重にすばらしいと弁護士としての感想でした。
松岡さん
アウティングという言葉を考えた時にさっき当事者間のトラブルが多いとお話しがありましたが、自分も実感としてあって結構脅しのネタになっていると思います。アウティングって言葉は、非当事者が当事者のことをばらすことから発生していないんですよね。アメリカの例えば、保守的なゲイの議員さんとかがゲイを隠してある種、抑圧的な政索などをやろうと思った時にあの人はゲイだということを当事者の側から むしろ出す。そのため戦術のようにアウティングという言葉が使われていた。だからアウティングって当事者コミュニティの間でもある種の武器でもあり、危険なもの。その背景にはさっき山下さんが仰っていた通りで社会がそもそもセクシュアルマイノリティに対する差別がひどいからアウティングという言葉が生まれてしまうということなんです。
山下さん
そうですね。私よりも弁護士っぽい
木山
今、おっしゃっていたように国でなくて自治体だからこそできることがあるんだなと思いました。私も活動の中でとにかく空気を変えていこうとを大事にしていて大きなこととかでなくて本当に目の前で起こったことに無関心でいないようにする。一人ずつでも誰かが言っていくことで空気はかわると思っているんですね。
その中でお二人は自治体は何ができると思われますか?そして何をしてほしいと思われますか?
山下さん
私は、子どもを守りたいと思い、弁護士になりました。
当然学校、それを設置している自治体、あるいは刑事事件など完全に国が相手ですのでそういった国家権力や行政と戦っていく弁護士像を勝手になる前に描いていたのす。ところが弁護士になってから行政と一緒に協力しあうとか、あるいは完全に行政の代理人として虐待をしている相手と向き合うこともあります。自分の中で行政の方と関わっていくとガラガラガラと印象が変わっていく。こんなに市民一人ひとりのために動く人たちがいるんだということプラス自治体だからこそできることが山ほどあると感じるんですね。例えば今豊島区で子どもの権利擁護委員を10年間やっていまして、中高校生センタージャンプという児童館に一か月に一回ずつ行っています。定期的に弁護士は訪問しているところはそこしかないと思います。行くと本当に通常の弁護士では関われないような子供達の法律トラブルに接するんですね。逆にいうと自治体がやっているからこそつながれる市民の困りごとというのがある。NPOなど頑張っているところいっぱいありますけど、どうしても力とか経済のこととか、市民一人ひとりに情報が届くアピール力だったりが全然違うますし、あと信頼度ですよね。困っている当事者がここ行っていいのかなと思う。そういったことを考えると、まさに市民のための自治体がもっている大切な力ですよね。私が最初戦う相手として思っていた力ですよね。全然逆の本当に一人ひとりのための力を自治体がもっていてその自治体が困っている一人ひとりの小さな声をきちんと救い上げてさらに独りぼっちにさせない。先ほど人権の重要な要素の一つであるとお話ししましたけどひとりぼっちじゃない、この社会で一緒に生きていこうというメッセージを出す。そこに自治体としての意義があるし、国立はトップレベルを走っているなと。自治体もできることよりも自治体だからこそできること。国ってどうしても大きいですし、時間もかかっていくというところがありますけど、パートナーシップ証明も国はなかなか動かないですが、制度を取り入れた自治体がどんどん増えているというのは大きいなと思います。私が尊敬している上川あやさんという世田谷区議会議員の方がいらっしゃって、彼女がトランスジェンダーを初めて公表し議員になってそれだけでなく国の法律が制定する時もかなり尽力されています。彼女はセクシュアルマイノリティのことも当然いっぱいやっていますけど、それ以外の社会問題とか人権問題も取り組んで素敵な方なんです。彼女がいつも言うのは、「地方は末端でなく先端だ」と。私は本当にこの言葉が大好きで国立も本当に先端として取り組んでいるすてきな市の一つだなと思います。
松岡さん
今のでもういいかなと(笑)まさしく先端だなと思うのは、自分も正直法律というのは何ぞやという大学生、高校大学生くらいの時は、自治体というものがいったい何をしているのかということをほとんどわかっていないというのが一市民としての感想だったんですけど、こういう活動をしていく中でそれこそパートナーシップ制度は広がっていく状態などみると国が動いていなくても実際にできることを自治体は一つずつ進めることができるんだと実感したんですね。例えば今回のパワハラ防止法もそうなんですけど、法律ができましたということだけが報じられてもやっぱり一市民からみると遠すぎると言うか、だから自分の生活に具体的にどうなるのかというの認識が難しいかなという部分もあるかなと。それを伝えるには自治体の力があると思うんです。もちろんやっている自治体とやっていない自治体があるんですけど、やってる自治体というのはセンターがあったり、啓発活動をやることもあれば相談もしていて、ある種、草の根的に広がっていることがあるといえるなと。これも私も近いところでいうとNPOとかがいろんなLGBTにおける相談とか受けているんですけど、その団体も自転車操業というかなかなか寄付だけではやっていけないのが現実です。当事者のためという想いで動いているわけですけど、それを継続していくのも難しい時に自治体がそういうセンターを設けてくれたり、ちゃんと相談ができる相談員がいたり、そういうことで本当に一人ひとりの困りごとが、少しでも解決できればなと思います。自治体に何を望んでいるのかは本当に多岐にわたるのかなと思っていて、例えば自治体の中にもいろんな事業所があり、その企業さんがパワハラ防止法できましたといっても中小企業だとLGBTに関する施策やっているところって10%くらいなんですよね90%は何もやっていないんですよね。では国はどうするかをいうと一個一個みるのはたくさん企業があるので無理、全部をみることはできないですよね。自治体が間に入れるかなと思っていて企業と連携してもっとLGBTイシューについて考える場を設けたりとか啓発したりとか説明にいったりとか、そういったことって自治体だからこそできるんではないかなと。学校もそうですよね。国が、性的マイノリティのことはちゃんと考えなきゃだめですよ。という通知を教育委員会とかに出してそれが降りていくんですけどやっぱり意識のある校長先生だといいのですが、意識のない校長先生だと何も出来ない時こともあります。自治体においては、ちゃんとやりましょうねということを伝えたりとかできるわけなので広げていくためにすごく期待したいなと思っています。
山下さん
今のまさしく相談員として動いている木山さんの学校とか企業に木山さん自身が感じていることを教えてください。
木山
国立は人口が7万人ぐらいなので、広がるのは早く、また市民の皆さんの意識も高いので、学校に行っても届いたなと実感することが多いです。これは、国立のこの規模だからできる素晴らしさもあるかなと思っています。私たちがいろんなことを啓発するなかで例えばDVや男女共同参画啓発のパネルを作成するときも同性カップルはどうだろうということも絶対で入れています。ないことにしないことが大事だと思っていて。その姿勢をパラソルが示し続けることで相談をしやすい場になれるかなということを期待しています。相談数はとても増えていて、LINEなどでも入るようになってきました。そういうちょっとしたことも含め言える場所になるといいなと思っています。
松岡さん
いわゆる相談って自治体は弁護士事務所とかとは全然違うと思うんですけど、たぶん特定の内容は個人情報があるのでなかなか言えないと思うんですけどどういう相談ですか?
山下さん
たぶん、弁護士に相談するって相当ハードル高くないですか?高圧的に難しいことを呪文のように言われ、あげくのはてに高額の相談料をとられる。皆さん頷いていますね(笑)一回会えばこの弁護士なら言ってもいいかなとなりますけど。行ってみないとどんな人かわかんない何されるかわかんないという恐怖心ってあると思うんです。こんなに頷かれると思わなかった(笑)それと比べるとやっぱり行政が設けている窓口は本当に身近。私は四谷で事務所開いていますけど、四谷までわざわざ電車乗ってきて恐怖を帯びながら扉あけるのか。本当にすぐ近くに顔の見える関係で、安心して相談できるかというのは全然ちがうと思うんですよね。逆に本来だったら法律の対応レベルなんだけどなかなかつながれないという方もこういった行政窓口とか支援団体の方が弁護士に繋げてくれると本人も安心しますよね。私も支援団体の方がつなげてくれたということでより安心して相談にのれるところもあるので。そういうことはあるかもしれない。
松岡さん
どんな相談でもいいんですよね? 基本的には
木山
はい。どんな相談でもいいです。例えば中高生でだれにも言えないんです。まだもやっとした感じで何をどう悩んでいるかを伝えることが難しいかなということでもいう場所があるというだけでも安心できるかなと思っていますので。とにかく一報入れて頂ければという気持ちでやっています。
松岡さん
なんでも相談できるんだよということをもっと言うってことも大事なんですよね。自治体の相談窓口のいうのは、何か弁護士さんに相談するとしたら具体的に会社でこんなハラスメントを受けてとかいうのがないと行けないのかなと思うんです。
山下さん
高齢者だと地域包括という言い方したりしますけど本当に何でも困ったときに気軽に相談できる場所があるというのがすごく大事ですよね。
木山
(性別違和感のある)中高生が洋服どこで買えるかな?とそんなことも。確かに中高生って洋服を買うときどうすればいいのか思いつかないのかなと思うとそういうちょっと聞きたいことを聞いたり、言いたいことが言える場所というのは、あるといいかなと思っています。
松岡さん
とくにコロナ渦で家の中が安全でない子ども達が多くなっていると思っていて、実際にNPOがとった調査でも7割くらいの人が親からセクシュアリティに対して否定的なことを言われたという結果がでています。特定の事例だと単身赴任をしていたお父さんがコロナによって帰ってきて、自分がトランスジェンダーであることを受け入れてくれていなくてずっと娘だというように扱ってきていて精神的に苦痛だと。でもそれを家族には相談できないし。とくにコロナ渦でまだ外にでれなかった時だったので相談ができない時にその時こそやっぱり言うだけでもましになる。窓口につながって場合によってはLINEで「つらい」ということを声にだすだけでも、少しは解決につながったりするかもしれない。そういう使い方もでてきてほしいなと思ったりしますね。
木山
仰る通りです。やっぱり当事者の方が声をあげるというのは大事なんですけど、当事者の方だけが声をあげ続けなければならないといけない社会というのも悲しいかなと思っていて、そういう声をあげ続けられる人、組織、施設でありたいなと考えています。
会場からの質問①
パートナーシップ制度ができた後、市民の理解をすすめていくことものも必要だと思いますが
お二人は何が一番必要だと思いますか?
松岡さん
難しいですよね。パートナーシップ制度って法的効果が残念ながらないので基本的には民間の企業さんが協力をした場合とか病院が協力をした場合とかにパートナーとして認めますよというある種の水戸黄門でいう紋所みたいなものなのかなと思いますが、その時にもちろんパートナーシップ制度が、ちゃんと知られている状況でないと結局効果がなかったりするわけですよね。本当に2015年くらいの時って自分の聞いた事例でもパートナーシップ証明書とっていったのに何ですか?それ?と聞かれてそのまま自治体に電話させられたということがあって、その状態がすでに緊急時なのに。少なくともうちの自治体ではパートナーと認めてますということがちゃんと民間の企業や学校などに広がることが必要だと思います。あとは当事者の側もそれを利用することがある種カミングアウトに繋がるのではないかと怖いという人も結構いると思うんですね。これは東京ではない自治体のパートナーシップ制度導入している自治体の声として聞きましたが、その区役所なり、市役所だったりそういう窓口に行くこと、パートナーと行くこと自体が「あの人たち、そういうこと?」と思われることを懸念している。なかなか申請できないという人もいます。当事者の多くの人が使うようになったら、それこそ理解が広がることもあると思いますし、やっぱり使いづらいなという場合に例えばもうちょっと区役所、市役所に入る時に見えないような場所、個室などで申請を受けることができるなどいろいろ配慮の仕方や工夫はあると思うので、そういうことをあの手この手で広げていくことで当事者は利用しやすくなるし、自治体側はより効果を高めることがあるのかなと思います。
山下さん
私はその質問にまず感動しました。2002年、2007年の頃から考えると夢のようです。こういうイベントで楽しく話しが盛り上がれて市民の皆様がうんうん頷きながら聞いてくれるこの状況下は私が弁護士登録した18年前全く想像できなかったんですよね。2015年にパートナーシップ証明が出始めて何十もの自治体でさらに広がってることが当時の当事者の苦しみとか考えると進歩していて、そこからさらに何が必要でしょうか?と一緒に考えて下さるこの姿勢が本当に嬉しくて。この姿勢や、何が必要だろうと考えて下さることを持ち続けていただきたいし、その質問してくださった方だけでなく同じ意識を周りの隣りの人たちと積み重ねていただきたい。何をすればいいだろうという結果がどこにつながるかまだいろんな方向性あると思います。
そのうちの一つが例えばパートナーシップ証明書は法的効果がない。それは法律婚ができないからですよね。法律婚ができないことでどんな大変さがあるのだろうか。さっきの相続ができない。パートナーがオーバースティになりそうな時に不当なある扱いをうける。そのリアルな話がようやくこの数年で出始め、当事者たちも統計にでているのではなくてうちの近くにもいるかもしれないということを考えてセクシュアルマイノリティのことだけでなく困っている人がこの社会の中にいるんだったらみんなでそれを変えていくにはどうすればいいだろうってそういう意識を持ち続けて下さることが、本当に大事なことだなと私は思っています。
会場からの質問②
私もマイノリティ当事者ですが、①理解される社会②オープンにカミングアウトできる社会2択ならばどちらを望みますか?
松岡さん
カミングアウトしなくてもいい社会が理解される社会ということですかね。難しいですね。
両方必要かもしれませんけど
山下さん
2択なら、①かなと②の方はたぶんゲイです。レズビアンです。バイセクシュアルです。気負ってそれがカミングアウトと称されるという社会ではなく自然に高知県出身です。というレベルになることなのかなと。トランスジェンダーの方だとカミングアウトって二つ種類があって実は本当は性自認がちがうんだけどまだ自分らしい性別として社会に暮らせていない、これからそうしたいと思っている段階と、社会的性別移行が終わっていて元々の身体の性別はこうだったんですけど知られたくないというかわざわざ大きくしないで例えば私は女性として暮らしているから体は元男だったと言いたくない人もいるし。オープンなカミングアウトといってもいろんな種類があるので②番ってなかなかそっちかなといいづらいところもあります。①も理解ってなんだろう?というのもあってですね。私、児童虐待でシェルターで保護した女の子、ネグレクト家庭で育ってきて誰も自分のことを理解してくれない。誰も大人はわかってくれない自殺願望のある子でずっとわかってくれないと言っていたんですね。私はその子にはいつもごめんわかってないという言葉がわからないからわかるって言葉以外で、今の気持ち話してくれる?とずっと話をしていたんですよね。なぜ私がそういう質問をしたかというと私自身子どもの時から子どものためになりたいと弁護士を目指していました。大学生の時、勉強でスランプに陥った頃にさらに輪をかけてもともと極道の妻だった方が弁護士になって子ども達のために活動しています。元ヤンキーだった方が弁護士になって非行少年の弁護しています。という話を続けて聞いた時にただでさえ、勉強がスランプになっていてたこともあり、私は子どものための弁護士になりたいと言っているけど別に児童虐待受けていないし、少年非行も侵してなくい。その子達の気持ちがわかるんだろうかと二重三重に落ちちゃった時期があったんです。今考えるとそんなこと全く関係ないんです。もし子供達を目の前にしていや俺も非行少年だったからお前の気持ちわかるよと言ったら、は?何いってるんだお前?と言われるのは確実だろうなと思うんですね。同じ非行してたとか虐待にあっていたって全く同じことを経験しているわけではないし、仮に全く同じ経験だったとしてもそこからの感じ方は人によってバラバラなんですよね。だからこそ1人ひとりお互い違う人間なんだ。お互い違う経験してきて感じ方も違う。違うからこそ、あなたのことを知りたい。一緒に考えたいことの方が大事なんだ。だって弁護士だって刑事事件やりますけど犯罪侵してないと刑事弁護出来ないのかというとそんなことはないですよね。むしろちがう人間同士だということを前提にした方がいい。そこからわかるという言葉使わないで今の気持ち話してみてと言って彼女自身がたどり着いた言葉はわかるって自分が言っているのは共感してもらうということなんだとそこに彼女自身も自分でたどり着けたことがあってまさしくセクシュアルマイノリティのこともそうだし、その他の障がい、国籍とかそんなことにもすべて通じることだと思います。だから、ちょっと難しい選択肢で①と②どっちですか?と言われた時どっちかというと①かなというのはそのような理由からです。
松岡さん
同時にカミングアウトってある種カミングアウトがある状態から言えば、むしろ①でというところでただ同時に理解というものが、真に理解するということがそもそもできないという様態というと②はカミングアウトしても適切に対処されるというか、対等なものとしてあなたの認識がどうであれ、フラットに扱いますということが徹底されるものなら、②もあるかもと
山下さん
すごい深い選択肢です。いい質問ですね。それだけで議論が出来そうですね。
会場からの質問③
当事者に突然カミングアウトされたらどのように返答しますか?一例でもかまいませんのでお聞かせください。
松岡さん
よくお話しするのはカミングアウトは当事者にとっては勇気にいることで信頼しているからこそあなたに伝えたということをとにかく肯定的にうけとめてくださいということを伝えています。言葉はなんでもいいので「ありがとう」でもいいし、「そうなんだね」ちゃんと聞いてあげようという体の動かし方でも伝わるので、ちゃんと肯定的に受け止めてあげるということが大事かなとそのうえでなにか具体的に困っている場合は、何か困りごとを聞いてほしいんですね。制服に困っているとか会社に困っているとか、困っているんではなく知ってほしい、あなたと関係性を深めたいのであればそれをただ受け止めて気になることがあれば聞けばいいし、人と人とのコミュニケーションで最低限やっていることを続ければいいかなと思います。アウティングに関しては、どの範囲まで伝えていて、どの範囲まで伝えていいのか?それは場に応じてだと思いますが、聞いてみるのもありかなと思っていて、ちなみに家族に言ってるの?友達にどこまで言ってるの?あの人には言っていないんだ。自分もなんとなくこの人の公開範囲を把握しておくっていうのもちょっと上級者っぽいですけどあってもいいかなと。これがよく伝えてることなんですけど、前見た映画でよかったなと思ったのは、「Loveサイモン 17歳の告白(2018年)アメリカ」ゲイであることを隠して普通に生きてきた高校生が主役なんです。友だちにはカミングアウトしてなくて特別にいじめられてるというわけではないんですよ。ある日、親友の女の子のカミングアウトしたら「そうだったんだね」とだけ言ったんです。主役の子が「驚かないんだね」と言ったら友達が「驚いてほしかった?」と聞いたんです。自分はそこがうるっとしてたぶん友達の中ではいろんなことがあったと思うんですよ。驚いたかもしれないし、驚かなかったかもしれないし、自分が今まで彼にかけた言動などを思い返していたかもしれないですよね。それでもその人はただ、言葉として受け止めてそれを全身で受け止めたということを表現してくれて当事者側である主役の子がむしろ偏見というか絶対に受け入れられないと思っていたんですね。びっくりして驚かないの?驚いてほしかった?という言葉一つでその二人の信頼関係がみえてそこに感動したんですよね。やっぱり言葉とかどういう言葉を選ぶかもそうなんですけど2人の関係性が物語っているなと感じていたのでその気持ちを当事者に伝えるということが、大事かなと思いました。
山下さん
私、大学2年生まで地域の子ども会のリーダーをやっていて毎年小学生をキャンプ場に連れて行き、キャンプのやり方などを指導してたんですね。ある年、キャンプ場に向かうバスで隣の席に小6の男の子が座ってきて、何でわざわざ俺の隣りに座るかなと思っていたんですけど途中で急にボソッと「僕、実は在日なんだ」と言ったんです。びっくりしたのもあってどうしたらいいかわからなくて「そうなんだ」しか言えなかった。その後何の話も続かないまま終わってしまったのが20年経っても後悔しています。今、子どもの事件やったり、セクシュアルマイノリティのカミングアウトの話とかやっている中で彼がそんな思いで一年間に何回しか会わない大学生の私の横にわざわざ座って勇気振り絞って言ったんだろうと思うと今だったら全然違う言葉かけしただろうなと思うんですよね。在日コリアンであれ、セクシュアルマイノリティであれ、日々の小さなマイナス感情を受け続けていく中でこの人だったらきっと受け止めてくれるに違いないとよく観察したうえで言うわけではないですか?たぶん選ばれたというのは変ですが、そういう大事なことについて話してくれたことをむしろありがとうとかそこから先もっとわからないことを聴かせてもらいたい。というメッセージを今だったらかけられたと思うし、セクシュアリティやそれ以外のこと、家族に前科前歴がある人がいるとかいろんなことがあると思いますが、そういった時に話してくれた人に対して受け止める姿勢をだしてほしい。そこから先の言葉かけは人によって違うんですよね。人によっては例えばセクシュアルマイノリティであることカミングアウトした人が相手から「でもあなたはあなただよ」と言われて嬉しかったと言う人もいれば、「え?残念」と思った人もどっちもいる。あなたはゲイだとしてもあなたはあなただと受け止めるよとプラスなメッセージでいわれて良かったと思う人とせっかく勇気振り絞って大事なことを言ったのにあんまり大事な要素ではないあなたはあなただよというメッセージの出し方なのか、言葉でどうしましょうという表面的な話ではなくてそこをうけとめて変わらずあなたと仲いい関係でいたいお互い尊重し合いたいというメッセージをだせるかどうかというのが一番大事なのではないかと思います。
会場からの質問④
職場の人から先輩から性的マイノリティへの差別的なことをきいても注意できないと相談されることがあります。職場全体でアライのひとを増やすことができれば伺いたいです。
木山
アライを増やすことは国立が大切にしていることなのでこの質問を最後にさせていただきたいなと思います。
松岡さん
難しいですよね。実際に会社の飲み会で差別的な発言が出た場合、たぶん当事者だからというのもあるんですけど、自分も今この立場で聴いてもパッと反応するのって難しいなと思っていてたぶん笑ってごまかしちゃうだろうなということが多いんです。前にとある飲み会でですね。よくなかった事例なんですけど自分の隣に座っていた友人かつ同僚の女性の方と前に得意先というか営業先というかあまり知らない男性がいて私の目の前で自分をないものかのようにハラスメントというかセクハラをしているわけですよ。明らかにその女性を性的な目でみた感じの言動をしていて自分はその中でどうすればいいんだという状態だったんですよね。周りの人は男性が多かったんですが、その時に下ネタとかで笑いが起きていました。これは自分がどうかしようと思ったわけではなくて本当にシンプルに何も笑えなかったんですよ。面白くなくてみんなは笑っている中で一人だけ真顔で座っている状態だったんです。その女性は辛いだろうなあとで声かけようと思っていました。店を出た時に彼女から笑わないでいてくれてありがとうと言われて、少なくとも隣に仲間がいると思えたことがまだ乗り越えられたと。これは自分にとっては100%の正解ではなかったな、もっとできたことあったなと思っているんですけど少なくても2%くらいかもしれないけど力になったなと思ったら、まだ笑わないだけましだったなというのが自分の中の評価だったんですよね。これはたぶん誰にでもできることだと思っていて、いきなり注意するのは難しいけど笑わないとか、例えば水こぼしてみて視点を自分に向けて、間違えちゃったとか言ったりとかそういうこともアライの実践だと思うんですね。そのうえでどうやったらアライを増やせるかというところなんですが、本当のアライって何か?アライである資格とか検定があるわけではないという話をしていて、アライであるというアイデンティティよりもアライシップ、アライであろうとかアライでありたいという姿勢の方が何より重要かなと思っています。例えば六色のレインボーを掲げてみるというのもちろん大事なんだけどそれも掲げていたら完璧ということではないので常に常に学び続けよう、聞き続けよう、何か困っていることがあったらやってみようという常に常にサイクルを回していくと言うことがアライシップなのかなと思っていて、その方が大事だと思っています。さらに言うとアライというのは何かこう特定の領域までいったらアライです。ということではなくそこはスペクトラム。いわゆるグラデーションかなと思っていて、自分はまだ勉強中です。という人もいれば自分の身の回りのセクシュアルマイノリティの人が生きやすくなってほしいからちょっと頑張ってみようと思うのもアライだと思うし、社会全体でセクシュアルマイノリティが生きやすく、尊重される社会がいいと思って具体的に声をあげていく。例えばデモに参加します。それもアライだし、このあり方はスペクトラム、グラデーションなのでここまでいったらアライということでもない。これをしたらアライということではないんだということを考え続ける、すごいむずかしんですけどそこが重要なんじゃないかなと思っています。そういう姿勢を伝えていけたらなと思っています。
山下さん
私はこの質問が嬉しくてどうしたらアライが増やせますか?という質問が嬉しい。セクシュアルマイノリティの裁判は本当に少なかったと申し上げましたけど、30年前に重要な裁判府中青年の家事件がありました。ゲイ、レズビアンの団体が東京都から差別的な扱いを受けて裁判を起こし、勝ったんですね。その時に担当した中川重徳弁護士というのが性的マイノリティではないのですが、私と事務所やっている永野弁護士がNPOアカーという同性愛支援団体に関わっていて、高校の同級生である弁護士になって二年目の中川さんに依頼したことがきっかけです。中川さんは人権問題であるとすごい戦ったんです。周りからはあなたはそういう団体の代理人をやるということはあなたこっちなんですか?って他の弁護士から言われていたんです。当事者でない中川さんが戦って勝ち取ったということが大事なことなんですよね。当事者ってやっぱり実際、ハラスメントや差別的言動が行われている時って言葉がでないですよね。2013年の頃、新大久保で在日コリアンに対するヘイトデモがあった時に当事者の方は傷ついて声上げられない。その時に私も行きましたけど、当事者でない人の方が闘えるんですよね。そんなのやめろーとか当事者でないからこそというところもあると思います。セクシュアルマイノリティでも全く同じで30年前の府中青年の家では中川弁護士もお前こっちか?と言われてました。ここまで社会の認識が高まっている現状では、今まではホモネタなんてやめて下さいよといったらお前もそうなのか?となっちゃうけど今はそういうことはなくなってLGBT法律家ネットワークを作った時は最初、創始者であるメンバーはなかなかメンバーですと言えなかったんですね。それやると当事者性がばれちゃうからと。今が全然そんなことなくなるくらいになってきている。それはからかい、ハラスメントがあった時も同じであろうと思うので具体的な提案はないんですけど、その気持ちを持ち続けてくださるというのが、当事者にとってあるいは社会をかえる力になるだろうと思うのが一つ、もう一つが、今日パワーハラスメントの話ありましたけど、以前、私が関わった裁判で上司からのパワーハラスメントを長時間労働なしでパワハラ認定がとれたことがありました。労災で認められなかったものを地裁でひっくり返したんです。パワハラだけで労災になったという初めての事件だったんです。裁判所がパワハラで心理的負荷が強かったのかという要素をあげてそのうちの一つがが特殊な職場環境で上司と部下でハラスメントが行われているのを周りの人が把握できない勤務形態だったんですね。そのことがもし誰かが側にいたら、その上司にやめなよという人が現れたり、被害受けている人に大丈夫と他の人が言うことができたと思います。そういうことがない環境が心理的負荷で自殺に追い込まれた要素の一つになると裁判所は言ったんですね。これとっても大事で、からかっているからからかわれている人だけでなく周りに人がいてやめなよとか大丈夫と言われていることがまさしく質問してくださった方、この状況まずいよねどうしたらいいんだろうと考えて下さっていることが大事で、きっと同じようにこれまずいんじゃないの?と思っている他の同僚の方も絶対いるはずでそこから先は個別に具体的にやることはあると思うんですけど、ああいうのって良くないと思うけどどう?と他の人とネットワークづくりをするなど考えていただきたい。私は今のどうしたらアライ増えるだろうというその気持ちがまずとっても大事かなと思います。